断捨離。
この三文字に、私は何度も人生を助けられてきた。
物も、人間関係も、抱え込みすぎない。余計なものは手放し、身軽に生きる。それが、長年かけてたどり着いた自分なりの流儀である。
それでも、ときどき、その網目をすり抜けてくる人がいる。
困ったことに、彼はいい人だ。裏表がなく、気遣いもできる。気づけば友達になっていた。まるで冬の雪が、音もなく庭を白く染めていくように。
先日、その彼からLINEでお礼のメッセージが届いた。
「ありがとうございました。また今度。」
丁寧で、穏やかで、非の打ちどころはない。
けれど、その一文は、曇りひとつないガラスのようだった。透明なのに、こちらの思いは何ひとつ映してくれない。
返信を書こうとして、手が止まる。
気づけば、一週間が過ぎていた。
実家には、古びた住居なりの、小さな流儀がある。詳しくは書かない。だが、彼はすでに二度、それを経験している。
忘れてしまったのか。
気づかないだけなのか。
気づいていても、深く考えなかったのか。
三度目の、あの何気ない振る舞いを思い返すたびに、小さな違和感は、少しずつ心の中で形を変えていく。
このまま四度目を迎えるのは、正直、気が進まない。
黙っていれば、その場は穏やかに過ぎるだろう。
だが、その穏やかさは、本当の意味での優しさなのだろうか。
私は、そうは思えない。
言わないことは、優しさの仮面をかぶった不誠実だ。
もしかすると、彼は本当に知らないだけなのかもしれない。
だからこそ、伝えなければならない。
責めるためではない。
距離を置くためでもない。
これからも気持ちよく付き合っていくために。
それが相手への礼儀であり、自分自身への誠実さでもあると思うからだ。
普段の私は、思ったことを比較的はっきり口にする。
それなのに、LINE一通を書くだけで、一週間も立ち止まっている。
断捨離を信条にしている人間が、たった数行の言葉を前に足踏みしている。
我ながら、おかしな話である。
それでも私は、今日も言葉を探している。
言葉でしか届かない思いがある。
言葉でしか越えられない距離がある。
だから、逃げずに書く。
ありがたいことに、今はAIという相談相手がいる。
人との距離は整理しても、AIとの対話だけは増えていく。
少し皮肉で、少し時代らしい。
そんな矛盾も含めて、今の私なのだ。