秋の田んぼに立つと、胸の奥がすっと静かになる。風が稲を撫でる音は、まるで一年の物語をそっとめくる紙の音のようだ。
春。まだ何もない土の上に水を張り、指先ほどの苗を植えた。あのときの苗は頼りなくて折れそうで、それでも空に向かって伸びようとしていた。風に揺れ、雨に打たれ、真夏の陽ざしには黙って耐えた。その姿を見ていると、こちらまで背筋が伸びる。
田んぼの水面を覗き込みながら、何度もつぶやいた。
「今年は、うまい米になるだろうか」
水はただの水ではない。冷たさも、流れも、深さも、米の未来を左右する。少し入れすぎれば根が弱り、少し抜きすぎれば穂が痩せる。草が生えれば取り、病気や虫にも目を配る。そして天気だけは、こちらの都合をまったく聞いてくれない。米づくりは、毎日が自然と対話しながら進む仕事だ。
そんな一年を、コシヒカリは黙って生き抜く。夏の終わり、青かった田んぼがゆっくりと黄金色に変わる。穂が重くなり、稲が頭を下げる。その姿はまるで「ここまで来ましたよ」と報告しているようで、思わず「ありがとう」と言いたくなる。
やがて稲刈り。刈り取った籾を乾燥させ、籾殻を外し、玄米にする。さらに精米すると、白く輝く米が姿を現す。この瞬間は、何度経験しても胸が高鳴る。
炊飯器のふたを開けると、湯気がふわりと立ち上がる。ふっくらとしたご飯から、甘い香りが漂う。一口食べる。その瞬間、体の奥がほどけるように感じる。
「うまい」
その一言で、一年間の苦労がすべて報われる。
コシヒカリのおいしさは、米そのものだけではない。春の田植え、夏の暑さ、秋の実り。田んぼで過ごした長い時間が、一粒一粒の中に詰まっている。
だから私は思う。
おいしい米とは、ただ「味のいい米」ではない。
一年という物語を、味わうことなのだ。