季節限定。数量限定。完全無消毒で育てた私のキャベツは、一玉100円だ。毎年、多くの人に喜ばれている。
「安心して食べられる。」「しかも、おいしい。」
その一言が、農家には何よりうれしい。
だが、農業は思うようにはいかない。
天候に左右され、価格も自分では決められない。それでも畑は待ってくれない。だから今日も畑へ向かう。
私は二十年以上、群馬県中之条町で野菜を育ててきた。
春に種をまき、夏は暑さや虫と向き合い、秋に収穫し、冬は土を育てる。その繰り返しだ。
近年、「日本の食料安全保障」という言葉を耳にすることが増えた。
戦争、円安、異常気象。
世界で起きた出来事が、日本の食卓にも影響する時代になった。
農家の高齢化、後継者不足、耕作放棄地の増加、資材価格の高騰。畑を取り巻く環境も、年々厳しくなっている。
それでも農家は、毎朝畑へ向かう。
空を見て、土を見て、野菜を見る。
昨日との違いを確かめ、小さな変化を見逃さない。
その積み重ねが、おいしい野菜を育てる。
私は特別なことをしているわけではない。
昔から続いてきた農業を、今日も続けているだけだ。
だが、その「当たり前」が少しずつ失われている。
農家が一軒減れば、畑が一枚減る。
その小さな変化が、やがて日本の食卓につながっていく。
食料安全保障は、国の政策だけで守れるものではない。
地域に畑があり、土を耕し、野菜を育てる人がいる。
その積み重ねこそが、日本の食卓を支えている。
私も、その一人だ。
安心して食べてもらえる野菜を届けたい。
その思いで、今日も畑に立つ。
一玉のキャベツは小さい。
だが、その一玉には、種をまき、土を育て、暑さや雨、虫と向き合ってきた時間が詰まっている。
「おいしい。」「安心して食べられる。」
その言葉が、また明日の畑へ向かう力になる。
日本の食料安全保障。
その始まりは、決して遠いところにはない。
今日も誰かが畑を耕し、種をまき、野菜を育てている。
その小さな営みが、日本の食卓を支えている。
私も、その一人として、明日も畑へ向かう。
だから明日も、私はこの一枚の畑に立つ。